2011年09月12日

阿蘭陀焼の髭皿

以前 「 古伊万里と英国紳士 」 で

案内させて頂きました古伊万里の髭皿。

もちろんヨーロッパ諸国の富裕層からの

注文をオランダの東インド会社が受け、

それを有田地方に発注しVOCの旗印のもと

五艘船でわざわざ東洋から西洋へと

運んだ、という18世紀、元禄時代の

話をいたしましたが、今回は、その

ポストストーリーです。

higezara7.jpg

色絵花籠文髭皿 ( 江戸時代、元禄期 ) ご成約済み

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海を渡った古伊万里の髭皿、

それがアムステルダム港に荷揚げされ、

ヨーロッパのジェントリー層に珍重されると

今度はオランダのデルフト地方では、それを

真似て18世紀〜19世紀にはデルフト製の

倣伊万里髭皿が焼かれたのです。

九州陶磁文化舘にも元禄伊万里を

絵柄まで模倣したデルフトの髭皿が

所蔵されています ( 参考サイト )。


一方、今回当ギャラリーに仲間入りした

髭皿は、絵柄がいかにもヨーロッパ風、

伊万里の意匠を真似た形跡がない。

軟陶でとても古いものです。

higesara1.jpg

デルフト染付人物文髭皿 ( 18世紀 )
直径役31cm x 高さ10cm
 
11月28日: ご成約 ありがとうございました。

higesara2.jpg

higesara3.jpg

higesara5.jpg

勘の良い方はもうお気付きでしょう。

そう、この髭皿が本家本元のデルフト

の髭皿で、これを製作見本として、

有田地方で磁器製髭皿を焼かせたのが

古伊万里の髭皿の始まりなのです。

それがまた本家のオランダで日本風の

絵付が模写され、前述の九州陶磁文化舘

所蔵の倣伊万里デルフトの髭皿へと

再度繋がっていくわけです。


もうこうなると、昔から文化・芸術は

真似し真似されのキャッチボール、交流が

とても盛んだったことが分かります。 

江戸時代にチョンマゲ姿の日本人と

オランダ人が一体全体どんな顔して

商談していたのかと想像するだけでも

歴史の謎を紐解くようで面白いですね。




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posted by キャプテン at 22:22 | Comment(0) | 商品紹介
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