2011年05月09日

無料鑑定 稲佐の雅陶「鵬ヶ崎焼」その2

以前、こちらのページで紹介致しました

長崎の幻の焼き物のひとつ 「 鵬ヶ崎焼 」

久しぶりに出会いましたのでご紹介します。

buougasaki.jpg

長崎鵬ヶ崎焼 染付詩文見込陰陽文鉢 ( 江戸後期 )
口径15.5cm x 高さ6cm  個人蔵 非売品 


* 早速のご成約、ありがとうございました。

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story by アートギャラリー甲比丹(カピタン) 無料鑑定 出張鑑定 骨董 古美術 株式会社キーアクト
時は江戸後期、文政六年 ( 1823年 )、

長崎の町年寄、高木氏の庇護のもと、

儒学に明るく教養もあった蒲池子明ら

によって稲佐に開窯した文人雅陶、

煎茶文化が根付いていた長崎ならでは

文人流で風雅に富んだ作風の煎茶道具や

文房具などの小品が焼いたと言われています。

しかし、同じ文人陶でもお上 ( 長崎奉行 ) の

後ろ盾や資金援助があった亀山焼とは違い、

あくまでも数寄者の趣味窯の色合いが強く

商業目的が主体ではなかった鵬ヶ崎焼は

僅か30年前後でその歴史を閉じました。

buougasaki1.jpg

そのため、作品残存数は極めて少なく、

作風も前回紹介したようなカチッと焼き

締められた褐色土に白色や瑠璃色の

イッチン掛けをした作品や、蘇州土を

使って染付で山水を描いたもの、今回の

作品のように白化粧釉の上から染付を

施したものなどバリエーションもあります。

buougasaki2.jpg

その作風の面白さゆえ、特に褐色土に

盛り上げイッチン掛けを施した作品には

後世の倣作も散見されます。 また、

大正時代に馬淵龍石が開窯した通称

「 山里焼 」 にも似たような作風を認めます。

昔出版された図録には 「 鵬ヶ崎焼 」 として掲載

されていても現在では、アレッ? と首を傾げたく

なるような作品が載っていることはよくある話。


本歌の残存数が極めて少ないうえに、作風に富み、

後世倣作も多いとなると、コレクターのみならず、

業者泣かせの 「 幻 」 の焼き物ですが、

それゆえ、本歌を手にする喜びも大きいと

言うことになるのでしょうか。


余談ですが、鵬ヶ崎焼を興した蒲池子明さんの

お墓と僕の祖母・祖父のお墓は同じ寺町の

深崇寺なので僕にとって鵬ヶ崎焼はなんとなく

歴史の因果を感じる地元の焼き物なのです。


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posted by キャプテン at 18:00 | Comment(0) | 商品紹介
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